消費

卒論を自己満足に載せて、時間をつぶす。 「バタイユの普遍経済論にみる存在論と倫理の架橋」 序章 バタイユの普遍経済論は単なる一経済学説などではない。このことは筆者が今更言い立てる必要のないほど周知であるだろう。それは、まず人間の存在論であり、…

合理性。 やっぱりアドルノにもいかないといけないのだろうな。 今はいいや。 - バタイユの普遍経済論の 物理論の側面、倫理のそれ、存在論のそれ。 バタイユの消尽に 現代人間の幸福な生のあり方を見出す 見田宗介。 資料としてのポトラッチ。 それはいずれ…

もっと穏便に謙虚に慎ましやかにやろう。 着想 ・聖と俗をどう扱うか ・贈与と交換の違いをどうするか ・等価性の保証は ・交換の非合理性 ・聖俗は交換原理を駆動させるか ・交換という人間存在における一現象 ・交換の自律/他律 贈与を突っ込んでやるのは…

蕩尽としての供犠。 聖性について。 またはポトラッチにおける 負い目。 これらにつっこんでいくと 困りそう。 - - 交換せざるを得ない人間をテーマにする。 非合理的交換という人間の根源的原理。 何故人間は交換せざるを得ないか? 論点 ・「交換」はどの…

バタイユは単純に「蕩尽」を称揚するのではない。 普遍経済論第一部「呪われた部分」でのそれは あくまで普遍経済的な「蕩尽」である。 ただ人間においてそれは発現するだけなのである。 あたかも太陽が無尽蔵に爆発し続け、エネルギーを撒き散らすが如く。 …

過剰はどうしようもなく消費される(蕩尽)。 バタイユ普遍経済論の中心テーゼ。 これは「呪われた部分」だ。 「呪われた部分」は有用性を呪い返す。 有用性は非本来的だ。 - 「贈与」という例は勿論この蕩尽を示している。 「贈与」と「交換」の質的差異。 …