理性−非理性

合理性。 やっぱりアドルノにもいかないといけないのだろうな。 今はいいや。 - バタイユの普遍経済論の 物理論の側面、倫理のそれ、存在論のそれ。 バタイユの消尽に 現代人間の幸福な生のあり方を見出す 見田宗介。 資料としてのポトラッチ。 それはいずれ…

レポート提出。 結局突っ込みたかったところの 半分にも到達しないお粗末な代物が出来上がり 己の基礎知識の無さを痛感する結果と相成った。 アドルノ/ホルクハイマーを浅くなでて ハーバーマスの手前で倒れたという具合。 - - フロイトの入門書を。 ジーク…

というわけで 「アドルノ/ホルクハイマーの考える (啓蒙的)理性の本来的あり方はいかなるものであるか」 をテーマにしよう。 ハーバーマスは(近代的)理性でこれに対峙するわけか。

レポートの予定 大きなポイントを「啓蒙としての理性」に絞って 論を運ぼうと思う。 「啓蒙の弁証法」のモチーフは平たく述べるとこうだ。 啓蒙としての理性は歴史的に推進されてきた。 自然を支配することが文明の前提であり、 その支配を推し進めることが…

客観的理性は観念的である、形而上的であると否定される。一方、主観的(道具的)理性は本質的に問題がある。それは質を量に変換する。合理性という非合理性。啓蒙は、文化はそれに基づいて遂行されてきた。近代的理性的啓蒙の悲惨。アドルノ/ホルクハイマー…

近代の運動として、啓蒙としての理性、理性的な啓蒙が行き着いた地点、それがナチスの合理という非合理であるということ。「啓蒙の弁証法」でアドルノ/ホルクハイマーが言わんとしたことを暴力的に約めてみた。神話にも啓蒙的な契機がある。逆もまた然り。で…